てつがくやさんの気まぐれ日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

恐れることなかれ。同性婚法が成立しても、世界は滅ばない。

なんで先日、突然、バーコウ議長の動画に行きあたったかというと、例の「足立区が滅ぶ」発言でがっくりきた心を回復させるため、久しぶりにこの動画を観た、そのリンクだったのでした。

 


【高画質】同性婚を認める法案で大称賛されたニュージランド議会の感動スピーチ【日本語訳】

 

同性婚が認められたニュージーランドの議会でウィリアムソン議員が行った大絶賛されたスピーチ。

 

この法案に反対する人に私は約束しましょう。完璧な約束です。

明日も太陽は昇るでしょうし、

あなたの10代の娘はすべてを知ったような顔で反抗してくるでしょう。

明日、住宅ローンが増えることはありませんし、

皮膚病になったり、湿疹ができたりもしません。

布団の中からカエルが現れたりもしません。

明日も世界はいつものように回り続けます。

だから、大騒ぎするのはやめましょう。

この法案は関係がある人には素晴らしいものですが、

関係ない人にはただ、今までどおりの人生が続くだけです。

(モーリス・ウィリアムソン)

 

いろんな日本語訳が出てますが、わたしは↑↑↑のしょご先生の訳が好きかなぁ。

けど、アクセントちがいの説明が抜けてるので、こちら↓↓↓もリンク貼っとこう。

 

 


同性婚を認める法案の賞賛されたスピーチ

 

 こちらに、全翻訳文あり。

www.huffingtonpost.jp

 

白石正輝議員に、「安心して」と伝える優しい人たち。

www.huffingtonpost.jp

 

日本では、配偶者控除制度があるので、同性婚を認めたらお金がかかるという意見もききます。

が、個人的には、そもそも配偶者控除をなくすか減らしてもいいんじゃない?と思ったり(わたしも特別控除内だったりするけれど)。

その分、子育てに関する手当や助成を増やすとかすればいいんじゃないかと(うちには子どもいないけど)。

自分が得する案ではないけれど、差別なき公平で明るい未来のために、そう思います。

母はエイリアン

先日、3年ぶりに母と話していて、衝撃の事実が発覚した。

母にとって私はこの世でもっとも近い存在で、だから私に話すときは自分に話すのと同じ感覚でいたらしい。

どうりで気遣いゼロやと思ったわ( ̄◇ ̄;)

 
 
母が自分に話すかのように娘に話すとき、母は娘を他者として認識できてないわけで。

全く悪気なく、娘の気持ちや考えは無視されてしまう。

そんなものがあるということすら、娘が「私はあなたではありません」「娘には娘の気持ちや思考があります」ということを示さなければ、しかも一度ではなく示し続けなければ、気づいてもらえないのだ。

 

価値観の相違だとかいう以前の問題ですね。
 
たぶん、そこかしこの母娘のあいだで、こういうことが起こっているのだと思う。
 

 

母がしんどい

母がしんどい

  • 作者:田房 永子
  • 発売日: 2012/03/23
  • メディア: 単行本
 

  

 

 

気づけない毒親

気づけない毒親

  • 作者:高橋 リエ
  • 発売日: 2019/06/22
  • メディア: 単行本
 

 

長女はなぜ「母の呪文」を消せないのか ―さびしい母とやさしすぎる娘

長女はなぜ「母の呪文」を消せないのか ―さびしい母とやさしすぎる娘

  • 作者:大美賀 直子
  • 発売日: 2014/12/03
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

 
それにしても、私にとっては自分と双子である姉のほうが(性格や好みは全然ちがうけど)ずっと近い存在なので、母が、姉と私より母と私の方が近いと認識していたとは驚きでした。
(姉は子どものころ男の子っぽい子だったので、自分とはちがう存在=他者としてちゃんと認識されたらしい。私は、レースやリボンが大好きな女の子っぽい子だったことが災いしました?)
(もし私が双子じゃなかったら、私も母と自分を同一化してしまい、もっとこじれていたのかもしれない、とも思います。)

 

私にとって母は、完全なる他者。

しかも「私はあなたではありません」ということがいちいち示さないと通じないだなんて、宇宙人に接するぐらいのつもりで付き合うのがちょうどいいのかもしれません。

『まともがゆれるー常識をやめる「スウィング」の実験」』

久しぶりに、ケアを考える会にオンラインで参加。

こちらの本を読みました。

 

まともがゆれる ―常識をやめる「スウィング」の実験

まともがゆれる ―常識をやめる「スウィング」の実験

  • 作者:木ノ戸昌幸
  • 発売日: 2019/01/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

京都の障害福祉NPO法人「スウィング」に集う、障害を持つ人・持たない人たちの「できないこと」にこだわらないエピソードと、脱力しきった詩の数々。
誰かが決めた「まとも」を見つめ直し、ゆらしたりずらしたりすることで、それぞれの生きづらさを緩めるヒントとなる一冊。

amazonの商品紹介文より)

 

障害福祉に関心がある方だけでなく、ちょっと肩の力を抜いて生きたい人にもおすすめの一冊です。

 

「圧倒的に良いことを押しつけがましさのない活動に変えること」、そして「誰でもできる単純作業を魅力的な活動に変えること」。これら2つの課題をクリアにするため、試行錯誤の末に勝手にこしらえたローカルヒーローが「まち美化戦隊ゴミコロレンジャー」である。 (『まともがゆれる』Kindle版No.189)

 

ゴミが多ければ「一体どうなってるんだ!?」と憂き世を嘆き、ゴミが少なければ「拾うもんないやんけ!」と理不尽に毒づき、どっちにしたって元気ハツラツぶーたれながら、我らゴミコロレンジャーの戦いは果てなく続く。 (『まともがゆれる』Kindle版No.216)

 

ゴミが多くても少なくてもぶーたれんのかい!とツッコミをいれちゃう。

参加者のKさんも言ってたように、文章が軽妙でうまいんだなぁ。

 

たぶんいつ読んでも肩の力が抜いてくれる本なんだけど、コロナできゅっと縮こまることもある昨今なので余計に、このゆるさが心地いい。

 

そして、なんか生きるうえで覚えておきたい言葉がいっぱい。

 

人間はちゃんと、失敗するようにできている。(『まともがゆれる』Kindle版No.418)

 

「ケツの穴の小ささ」 とは、他者に対する、ひいては自分自身に対する不寛容さと言い換えることはできまいか。(『まともがゆれる』Kindle版No.419)

 

社会通念上、愚かしいことであっても、人にはそのような行為をする自由があり、誰からもその行為を邪魔されずに生きる権利がある。これを「愚行権」と言うのだそうだ。(『まともがゆれる』Kindle版No.564)

 

そもそもこの社会の隅々にまではびこり、おそらく多くの人を苦しめている「できること=良いこと(素晴らしい)」「できないこと=悪いこと(ダメ)」という価値観って一体何なのだろう。ホント何これ、教育? マジで意味分かんない。できることはただでいるだけ、できないことはただできないだけ、良い悪いでもないし、それ以上でも以下でもない。これじゃいけないんだろうか?(『まともがゆれる』Kindle版No.656-658)

 

あと、「障害者アート」という言葉に対する違和感の正体。

私も以前から違和感を抱いていて、本書の指摘にすっきりしました。

 

「『障害者やのに』って感じがするからじゃないですかね」(『まともがゆれる』Kindle版No.958)

 

つまり「障害者アート」って、「スイーツ男子」とかと同じ種類の言葉なんだなぁ。

偏見ありきの言葉。

それが福祉施設とか公共ので使われると、さらに違和感が増幅しちゃう。

 

そして僕たちが懸念するのは、障害者アートが隆盛するにつれ、キラキラ系イメージに上乗せされるように「障害者=優れた芸術を生み出す人」といった新たなド偏見が顕出しつつあることだ。なかにはそういう人もいれば、まったくそうじゃない人もいる。ていうかまったくそうじゃない人のほうがほとんどだ。少し想像力を働かせれば分かりそうなことだが、「それぞれが違った一人ひとりの人間である」という人類普遍の真実をついつい忘れ、大きなラベルで括ってしまいがちな思考回路は決して他人事ではない。(『まともがゆれる』Kindle版No.977)