てつがくやさんの気まぐれ日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

オンライン授業、6回目

明石高専の哲学概論。

予定の1ヶ月遅れでオンライン授業がはじまって、今日で6回目。

 

改めて、できないことはちゃんと「できない」って伝えるの、ほんと大事。

学生さんに「課題の復習したいからオンラインフォームじゃなくファイルで提出したい」って言われてなるほどと思ったけど、100名以上の提出物を毎回ダウンロードして管理+採点するのは大変すぎる。

わたしのキャパでは難しいので、課題は各自でメモなりスクショなりしておくようにお願いしました。

それにしても、復習できるしたいだなんて、なんとうれしいことを言ってくれる学生さんや。

 

もちろん、学生さんからリクエストされたやり方がのほうがええやん!ってことも多い。

学生さんからの意見→検討する(場合によってはアンケートをとる)→どうするか判断して理由とともに伝える、を毎週のように繰り返し。

おかげでようやく「この授業はこのやり方で」というのが定まってきた。

まだ直接は会ったことのない学生さんたちだけど、

いろいろ指摘してくれるのが本当にありがたいし、

なんでもできるわけじゃないけどいいと思ったことはできる限り取り入れるよということが、少しでも伝わるといいなぁ。

 

とおもってたら、オンライン授業は来週で最終回。

7月からは教室で授業らしい。

楽しみやけど、今度は教室の機材の使い方を思い出せるかしら?

 

オンラインテツドク!フーコーとともに権力と自由について考える

先週末、6月7日(日)は、哲学者の言葉に触れ対話する〈テツドク!〉を開催しました。

 

いまのこの状況って、医療や公衆衛生などをとおして私たちを管理し生かす〈生-権力〉の概念を提示したフーコーを読むのにぴったりだよなぁ、なんて考えていたところに、カフェフィロメンバーである廣井さんより「フーコーでテツドクを!」とお誘いいただきまして。

 

手に取りやすそうなこちらから

「自由の実践としての自己への配慮」を読んでみることに。

 

フーコーの権力と自由についての考えがぎゅっとつまっていることと、

ここで紹介されている古代ギリシャの「自己への配慮」「他者への配慮」という概念が、

いま読むのにぴったりじゃないか、と思って

*1

蓋を開けたら、参加者からは新型コロナウィルスに絡めた話はそんなに出なかったんですが、紹介者としては過去最高にフーコーの権力論について説明しやすい状況であったことは間違いありません。

 

みなさんとの対話では、

フーコーの「自由」観と「自由の相互承認」説とのちがいを明らかにしたり、

タワーマンションを例にフーコーが「権力関係」と「支配状態」のあいだにあるといっている「統治性」について考えてみたり、

「自己への配慮」と「他者への配慮」について、「よかれとおもってやったことが、相手の負担になっていることがある」という問題を親子間にある権力関係を思い浮かべながら考えてみたり*2

なかなかの充実ぶり。

目指してたとおり「思ったのとちがったけど思ったより楽しい」時間となりました。

 

特にわたしはフーコー愛が強すぎてフーコーを別の視点から読むのが難しいので*3、こういう機会があるのは本当にありがたいです。

みなさんと読むと、「その反論は思いつかんかった!」「たしかにタワーマンションって統治性について考えるのにぴったりやん!」などなど、刺激がたくさん。

 

さらに、みなさんとの対話から、新たな企画の種も‥‥‥。

そのうち実現でいるといいな♪

 

終了後も、感想を語り合ったり、みなさんの関心にぴったりなフーコー本を紹介したり*4、1時間ほどおしゃべりを楽しみました。

 

企画してくださった廣井さん、参加者のみなさん、ありがとうございました。

フーコーを読みたいときは、ぜひまた声をおかけくださーい♪

 

cafephilo.jp

 

*1:権力論で有名な『監獄の誕生』は気軽に手に取りにくい代物だし、『性の歴史I 知への意志』も今回のリクエストとは、ちょっとちがうかなと。

*2:終了後、そうやって気にかけること自体が、まさに他者への配慮を含有する自己への配慮ではないかと思ったり

*3:研究者としては致命的な欠点なので、今後は「フーコー研究者」ではなく「フーコー愛読者」と名乗ることにしました。

*4:自宅からオンラインだと、本棚からさっと取り出してご紹介できるのがいいですね。

哲学は現実を動かす〜「てつがく対話で男女共同参画」の後日談〜

昨年、「てつがく対話で男女共同参画」企画でお世話になった愛知県犬山市で活動する犬てつさんより、うれしいニュース。

「ずるい?」をテーマに「中学の制服、ズボンが履けるのは男子だけってずるくない?」「いやいや、普段、スカートかズボンか選べる女子のほうがずるいよ!」と制服論争が展開した子どもグループの対話。

それに参加してた子が議員さんに問いかけ、制服のスカートとズボンが選べるようになったそうな。*1
 
男女共同参画って大事だけど、実際には難しいよね」なんて言ってた大人たちは、びっくりしてるかな。
犬山市に限らず、他の地域でも男女共同参画推進のメンバーから「理想だけど難しいよねという声を聞くことは多い。
男女共同参画を実現するために日々がんばってるからこそ、その難しさを感じることも多いのだろう。
けど、子どもたちをみていると、大人が考えるよりずっとシンプルなことなのかもしれないとも思う。
 LGBTのことだって、打ち合わせで大人からは「小学生には難しくない?」なんて声が出てたけど、子どもたちはそういう人がいることをごく当たり前のこととして話してたしね。
あの日、大人グループの対話で出たように、「自分を縛っているのは自分自身かもしれない」という側面は侮れないなぁ。
 
哲学は机上の空論や屁理屈じゃない。
現実を動かしうる実践であることを身を以て証明してくれた犬てつの子どもたち。

彼らの哲学対話の記録が、7月末ごろ書籍になります。(わたしも、ちょこっと登場します。)

子どもたちの実践から、わたしたちも学ばねば!

 

 

 制服が変わるきっかけになった(!?)「てつがく対話で男女共同参画」のふりかえりはこちら。

matsukawaeri.hatenablog.com

 

 

犬てつのブログもどうぞ。

inutetsu.exblog.jp