てつがくやさんの気まぐれ日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

「友達と仲間の違いって?」@Ziba Platform

2月1日(土)は県北の津山市へ、Ziba Platformの哲学カフェでした。

テーマは、「友達と仲間の違いって?」。

 

アンケートをヒントに設定したテーマ。

希望をだした人は「友達や仲間について考えたい」ということで特に「違い」が気になっていたわけではなかったそうです。

が、話してみると、

 

友達と仲間を明確に区別している人と、友達と仲間を区別していない人。

「仲間は目的を共有している人で、友達は目的などは共有していないけど一緒にいたい人」と区別の仕方は同じだけど、“友達”のほうに強い絆を期待し憧れると同時に難しさを感じている人と、全く逆に“仲間”のほうに強い絆と憧れを感じている人。

違いの“友達”や“仲間”の認識の違いのギャップに驚くところから対話がスタート。

‥‥‥というか、最初から最後まで、その驚きを味わう対話だったような気がします。

 

他にも、

友達と対等な関係を期待する人、「そもそも対等な関係なんてほとんどない」という人。

「価値観が同じじゃないと友達にはなれないのでは」という人と、「全然ちがっても相手を尊重すれば友達でいられる」という人。

「目的をともにしていても仕事の同僚は“仲間”じゃない」という人と、“仲間=友達”と新事業に取り組んでいる人。

などなど、様々な切り口で参加者同士の認識のちがいが浮かび上がってきて、こっそり「哲学は驚きに始まる」という言葉を思い出し、噛み締めておりました。

 

なかでも個人的にいいお土産をもらったなと感じたのは、

「上下関係があっても、対等でいられる。なぜなら下からも相手をみてるから」(両方主体であり客体であるという意味では対等)という意見と

「動物とも友達になれる?」という疑問。

そういうふうに考えたことなかったけど、考えてみたら意外としっくりきて、「私ってこういうふうに思えるんだ!」と自分の思考を新たな側面から見直すことができました。

 

また、今回でてきた「本当のことを言ってもいい?」や「偽善者って?」という疑問についても、ぜひまた一緒に考えてみたいです。

 

参加者のみなさんにも、そういうお土産あったかな?

 

ご参加くださったみなさん、Ziba Platformのみなさん、ありがとうございました。

 

 

遺族のためのがんカフェ@ゆうあいセンター

一昨日は、第2の患者会すろーす主催で、遺族のためのがんカフェでした。

 

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これまでも何度か出てきた人づきあいのお話以外に、大切な家族が亡くなったあとの遺品整理や親戚づきあいの話題も…。
初参加者のおかげで、リピーターさんからもまた違った視点からお話をうかがうことができました。

 

がんならではの悩みや戸惑いもありますが、他の病にも共通する悩みや、病以前にある「イエってなんだろう?」「夫婦ってなんだろう?」といった根本的な問いに向き合えるのも、このがんカフェのいいところ。
今回は特にそのことを強く感じました。

 

初めて参加してくださった方からは「モヤモヤを同情や励ましなしに、誰かに聞いてもらえるだけで、こんなにも力づけられるんだ」という感想をいただきました。
どうもそこには、言語化の力と、実存的ななにかがある気がしています。

ミルトーク:ミカ・タジマ「ヒューマン・シンス(岡山)」

だいぶ前のイベントレポートが、書きかけ状態のまま「下書き」ボックスに入っておりました。 

うまく言葉にできず、このままお蔵入りかと思われたのですが、やっぱりもったいないので言葉足らずのままアップさせていただきます。

 

***

 

10月18日の夜は、岡山芸術交流のパブリックプログラムとして、ミルトーク、テーマがわりにアート作品を「観て」「話す」、いわばアート哲学カフェを開催しました。

(「ミル」には「観る」だけでなく、「千の(mille)」という意味もあります。)

 

作品は、日没と同時に岡山市民会館の外壁に現れる、ミカ・タジマ「ヒューマン・シンス(岡山)」。

 

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雨の中の屋外鑑賞ということで、あまりじっくり観れないかもと懸念してましたが、通行人の邪魔にならぬよう2グループに分かれ途中で場所を交換しつつ、みなさん熱心に30分ほどじっくり鑑賞。

その場でグループごとに軽く感想を共有したあと、室内に移動し、温かい飲み物をいただきながら対話しました。

 

煙?水蒸気?生き物みたい

人の一生を思わせる

宇宙の時間を感じさせる

感情の動きを表している?

こちらの感情が揺さぶられる?

天井や壁に閉じ込められてる?

外の世界と断絶してる?

外の世界と繋がってるみたい?

みる場所のよって感じ方は変わる?変わらない?

そもそも、あれは“作品=表現”なのか?

 

などなど、前半は作品のみえ方について、それぞれの視点の違い、作品の何がそう感じさせるかなどを確認。

その後、作品に関する考察から、「作品を観る私たち」に焦点が移ったのが面白かった!

 

「これって、作品なの? 何かを“表現”しているのか? ただの煙を写しているようにしか見えないけれど‥‥‥」

「いや、煙ですらないのでは。ただの映像。フェイクって知ってるからこそ、安心してみていられる」

「たしかに!映像って知らなかったら、通報しちゃう」

「作品を観るという目的ではなく、あそこを通る人はどうみてるんだろう?」

「それも気になるけど、あれをじっとみてる私たちが通りすがりの人からどうみえてるのかも気になっちゃって! すごく変な集団に見えるんじゃないかと、こっそりもう一方のグループ見てみたんだけど、バスを待っている人みたいに意外と景色に馴染んでた」

 

そこから、何かが「表現」や「作品」として立ち現れるとき何が起こっているのか、あの場所に自分たち自身に何が起こっているかも含めて考察が展開。

 

 

たっぷり参加者のみなさんの視点と言葉を楽しんだあと、終了10分前に作品説明をスタッフさんにしていただきました。

そこでまた、解説をきいて「なるほど!」と腑に落ちる点もあれば、「えええ!なんで?」とますます謎が深まる点も‥‥‥

 

岡山芸術交流のスタッフさんからも、

「私たちは先に作品の解説を知ってしまうので、そういうふうにしか見れなくなってしまっているけれど、みなさんの言葉をきいてそういう観方もあるんだ!と作品を新鮮な視点で観ることができて楽しかった!」

とおっしゃっていただけました。

 

また、ミルトークとはまたちがったかたちで対話型鑑賞を繰り広げているアートナビ岡山の方も何名かご参加いただいたのですが、その感想が意外にも斜めから差し込んでくる感じで、めちゃくちゃ面白かった!

芸術交流に様々な形で関わっている方たちの、その立場を脇に置いて語られる率直な言葉から、新たな一面や魅力が垣間見えたのもうれしかったです。

 

ご参加くださったみなさん、岡山芸術交流のみなさん、ありがとうございました。

 

この岡山芸術交流、トリエンナーレなので3年に1度開催されるのですが、3年後にもできるといいなぁ。

 

www.okayamaartsummit.jp