1月12日(日)は、岡山大学病院のある岡山大学大学院医歯薬学総合研究科で、若手の医療者や学生さんを対象とした哲学カフェでした。
今回は、「家族のためのがんカフェ」や「遺族のためのがんカフェ」などを開いている“第2の患者会すろーす”とのコラボ企画。
すろーすの代表、菱沼さんが「医療者のためのがんカフェもやってみたい!」と提案してくださったテーマは、「家族の気持ちってどれぐらい大事?」。
企画当初は“がん”をテーマにと思っていたのですが、打ち合わせを重ねるなかで、本当に聞いてみたいのは「家族」についてなのではと気づき、このテーマになりました。
いやはや、予想をはるかに超える濃い経験がたくさんでてきて、よい意味で重い回でした。
最初のうちは、医療者としての経験がちらほら。
治療のプロセスのなかで、患者さんの気持ちを最優先するときはどんなときで、家族の気持ちを重視するのはどんなときか。
娘さんの「生きていてほしい」という希望を、患者さんご本人はどう受け止めていたのかという長年のひっかかり。
毎回5〜6人で病院にやってきて、みんなであーだこーだと今後の治療について話し合う姿が印象的な家族。
ともに協力し合えるはずの医療者と患者の家族が、敵のような関係なってしまったケース。
中盤あたりからは、自身が患者や患者の家族としてした経験‥‥‥
自分の病気を心配する親のお節介対する複雑な気持ちに、
幼い頃にお父さんを亡くした方が、これまで話したことのない気持ちを言葉にして、思わず涙ぐむ場面
‥‥‥などなども交えながらの展開。
医療の話しかできないテーマは避けているので、これまでもみなさんの医療者とは別の顔や暮らしが垣間見えることはありましたが、今回は、医療者であるみなさんの患者や家族としての姿、患者や家族としてどのように病いや死を受け止めてきたのかが伝わってきて、言葉になりきらない思いがたくさんたくさん溢れてきました。
そして、そんななか「家族とはなにか?」に関してでてきた、いくつかの気づき。
個人と個人の関係性として存在する家族と、渾然一体となり個人と個人に切り離せない塊のようなものとして存在する家族。
親友と家族のちがいからみえてきた、家族ならではの責任感や負い目。
どんなに想っていっても、共有できない痛みや身体的感覚。
これは個人的な感想になりますが、患者や家族の視点からの「家族と病」がありありと浮かび上がっきたぶん、医療者の立場からしか見えない家族の姿があることにも気づかされました。
終了後、そんな感想を語っていると、看護師でもある菱沼さんは「医療者といっても、医師と看護師でもまた見えてくるものがちがってくるんじゃないかなぁ」と。なるほど!
今回は、主に「家族とはなにか?」が主な焦点になりましたが、途中出てきた、「相手の気持ちを尊重することと、相手のプレッシャーのせいで言うことをきかざるをえない状態は、見分けられるか?」という観点もまた、「気持ちを大事にするってどういうこと?」という点に関する重要な論点だったかと。
岡山大学病院と第2の患者会すろーすとのコラボ企画は初めてでしたが、大変充実した時間だったので、チャンスがあればぜひまたお願いしたいです。
ご参加くださったみなさん、ありがとうございました。