ときを遡りまして‥‥‥
先週の8月28日(水)は、就労移行支援センターのフリーデザイン岡山で2ヶ月に1度の哲学カフェでした。
夏休み中ということで、小学4年生の初参加者も!
別に小学生だからって特別扱いとかはしないけど、普段は来れない人が来てくれてたら単純にうれしいし、年齢関係なく本気で対等に話し合うの、楽しいなって思いました。
ビバ、夏休み!
テーマは「皆と一緒じゃなきゃいけないの?」。
「一緒」って、ややこしくっておもしろい言葉だなぁ、と改めて実感する1時間半でした。
「皆と一緒」といっても、「皆と同じ」という意味で使うこともあるし、「皆と一緒にいる」という意味で使うこともあるし、「皆と共有している」という意味で使うことも!
「皆と同じようにできなくても、皆と仲良くはしたい」
「皆と同じじゃないと一緒にはいられないのかな?」
「みんなができることって、誰かがやってくれるんだから、別に自分でできなくてもよくない?」
「たしかに、音楽はみんな同じ楽器だと一緒にできないです。それぞれ弾ける楽器がちがうから、一緒にできる」
「でも、消防士のように皆と同じ服を着て、同じように動けないと、一緒にできない仕事もあるよね」
「『皆』って誰? 誰と一緒にいたくて、誰と同じになりたいかによって変わる?」
‥‥‥などなどに加え、
最後には、「でも、知覚はみんな共通じゃない?」といった論点がでてきて、
わたしが、「たとえば、目が見えない人は知覚のあり方も見える人とはちがう。見える人用につくられた道は、見えない人は歩きにくい」って話をして、
そこから、そうした知覚のギャップ(ちがい)を埋めるものは「優しさ」でよいのかどうか?という議論で盛り上がって終わりました。
序盤は「みんなちがって当然だし、一緒じゃなくていい」という声が多数あがって、もしそのまま終わったらおもしろくないなと思ったんですが、そこからもう一歩踏み込んで‥‥‥
「でも、一緒じゃいけないってわけでもない」
「全部一緒はありえないけど、一緒じゃないといけない場合ってあるかな?」
‥‥‥と、主張を掘り下げクリアにしていくなかで、「一緒」の複数の意味が解きほぐされたり絶妙に絡み合ったりする様が、とても興味深く、なんだか万華鏡を覗いているような気分になりました!
「多様性」という言葉を一切つかわず、多様性の一筋縄でいかなさに向き合えた時間。
様々な個性をもった人たちの「働く」を応援するフリーデザイン岡山にふさわしい回となったのではないでしょうか。
ご参加くださったみなさん、フリーデザインのみなさん、ありがとうございました。
また長期休暇と重なることがあれば、小学生の方もどうぞ〜。