まつかわえりのてつがく日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川絵里のブログです。

「家族って何者?」@ヒバリ照ラス

ふりかえりの順番が前後してしまいますが、記憶の新しいところから‥‥‥
(他のレポートは準備中です。少々お待ちください。)

 

第2水曜日夜は宝湯で考える!

ということで、昨日(4月10)は、銭湯の2階で「家族って何者?」という問いと大格闘してきました。

 

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法律的な関係、帰るところ、ご飯を一緒に食べる人、信頼、身近さ、不要関係「私たちは家族」という共通認識、愛情、選べないセーフティネット、自分が家族と思えば家族?家族と周囲に認められることの意義、家族は一人に一つだけ?認知症で家族とわからなくなっても家族?家族っぽい他人と他人っぽい家族、「家族」に求めるものと求めるとは別次元の家族、家族と倫理…。

 

哲学カフェで「家族」を取り上げる度に、家族観ってほんとに人によって様々だなと思うけれど、さらに昨日は、一人の中にもいろんな家族観が存在していることが感じられました。

終わってからふりかえると、部分的に「家族はこうあるべし」という当為と「ないほうがいいけれど、実際にはこういう家族もいるよね」という事実が、ごっちゃになっていたかも。

そこんとこもうちょっとスマートに整理できれば‥‥‥

と若干反省しつつも、もし「家族」という言葉がそういうすれ違いを生じさせるのだとしたら、それはそれでものすごく興味深いことでもあるなぁ。

 

あと、ある人の家族経験が、他の人に「そんな家族、ある!?」という大きな戸惑いを引き起こすのも、「家族」というテーマの特徴だなぁ。

自分が思う「家族」のポイントが、別の人には全く当てはまらなかったりする。

それで「ここに今いるみんなが、家族じゃないと思うなら、それはなぜ?」と否定の理由から共有できないかと試してみたけれど、うまくいったかどうかは謎です。

 

 

帰り道に対話を思い出しながらもう一回考えてみて、哲学カフェで自分が言ったのとは全くちがう「いいとこ取りできないのが家族」という言葉が浮かびました。

この仮説も出したら出したで紛糾しそうだけど、みなさんとの対話を経て、対話前に自分が考えてたのとは別の次元で家族を捉えられたことに感謝です。

ご参加くださったみなさん、ありがとうございました。