まつかわえりのてつがく日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川絵里のブログです。

「運命を変えることはできるのか?」@antenna Coffee House

10月14日(日)は、2ヶ月に一度の尾道day♪

antenna Coffee Houseで哲学カフェ尾道でした。

テーマは、「運命を変えることはできるのか?」

 

哲学カフェ尾道 第15回【 運命を変えることはできるのか? 】

 

テーマを提案したマスターも「みんな、こういうの好きかな?」と思って提案したとい言ってましたが、参加者も「みんな、どう思ってるんだろう?」って人が多かったような‥‥‥。

「『運命』という言葉を知ったときから、まさにテーマ通りの疑問を抱いてた!」という方もいれば、「『運命』の意味は『変えられないもの』だと思ってるから、ヘンなテーマだなと思ってきた」という方も。

 

それにしても、わたしが経験してきた数々の哲学カフェのなかでも、最上級に頭がこんがらがる複雑の対話でした。

予想では、「運命を変えることができる?できない?」「運命ってあるの?」あたりから徐々に「運命ってなに?」に迫るイメージだったけど、全然ちがった!

 

 

何がどう複雑だったのかをお伝えするのが難しいのですが‥‥‥

 

  • 「反対を選んだつもりだったのに、結局こうなった。ということは、こうなる運命だった?」
  • 「右か左かの選択肢があって、わたしが右を選んだのは、右を選ぶ運命だったのか、それとも左に選ぶという運命を変えたのか、どっち?」
  • 「『運命』って、そうなることが予め決まってたというより、後から『あれは運命だった』と意味付けるものなんじゃない?」

といった「これは運命だ」という判断をいつどのようにするかという問題と、

 

  • 「『運命』という言葉で、可能性を閉じてしまうのはイヤだ」
  • 「変えられない事柄もあるとは思うけど、変えられないことばかりではない。意思をもって道を切り開いたり、もがきたい」

 といった、人生をどう生きるかという問題と、 

 

  • 「そもそも『運命』の定義って、『変えられないもの』じゃないの?」
  • 「いや、変えられないのは『運命』じゃなくて『宿命』。『運命』は変えられる。」

 という言葉の定義のズレと。

 

これらの問題が別個に順番にではなく、

「『あれは運命だった』という後付けや言い訳が成り立つのは、『運命=変えられないもの』という意味で捉えているからじゃない?」

というふうに、互いに絡みあって同時に噴出したからじゃないかなぁ、と後からふりかえると思います。

「運命=変えられないもの」と思っている人と、「運命=変えられないもの」と思ってりう人が、よくよく聞くと似たようなことを言っていたり、

「『運命』という言葉は使わない」という人と、「『運命』は変えられないもの」という人が、どちらも可能性や意志の力を大事にしているのを感じたり。

 

言葉の意味が人によって違う!というのは哲学カフェではよくあることですが、ここまで言葉の意味や使い方が掴みづらいと感じたのは初めてかもしれない。

 

さらに、「運命」は必然なのか、それとも偶然的な事柄に運命を感じるのか、

「起こった事柄がよいことか悪いことかは、人生が終わるまで判断できないと思うから、運命かどうかも途中ではわからない」、

言葉でラベリングすることの功罪、などなど。

 

まるで、エスプレッソを何杯もがぶ飲みしたような濃さ! 

 

こうしてふりかえったものは、所詮、わたしのザルのようなアタマで濾されたものにすぎないので、目の前でいくつもの発言が、互いに相反するのか補完しあっているのか、解けていってるのかさらに絡まっていってるのか、よくわからないなかを一生懸命探っていくあの醍醐味をお伝えできないのが、本当に残念です。

 

すんでのところで飛行機事故に遭わずにすんだ人の話や、マスターがただの旅行先にすぎなかった尾道でいまはお店をかまえて暮らしている話など、人生の機微を感じながらも、「運命」に翻弄され、「運命」と格闘する2時間でした。

 

ご参加くださったみなさん、おつかれさま&ありがとうございました。

 

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ここにお店があるのは運命?それとも?