まつかわえりのてつがく日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川絵里のブログです。

よい哲学カフェとは?(参加者の質問より)

メモを整理していたら、2015年のメモから、こんなのが出てきました。

facebookのタイムラインにでも投稿するつもりだったんでしょうか。

いまも考えは変わっていません。

 

===以下、2015年のメモより===

 

先日、哲学カフェの参加者の方から、こんな問いかけがありました。

 

充実した哲学カフェと、良い哲学カフェは同じでしょうか?

良い哲学カフェは、参加者全員が良いと思わなくてはいけないでしょうか?

良くない哲学カフェでも、参加者が良いと思えばよい哲学カフェでしょうか?

一人一人に主観があり、同じ時間を体験していても、違った感想を持つならば、良い哲学カフェって何でしょう?

 


「充実した哲学カフェ」と「よい哲学カフェ」、私は、厳密に区別してはいません。

が、「よい哲学カフェ」というと、なんとなく、第三者から評価できるかのような印象をもたれやすいので、あまり使わないようにしています。


私に判断できるのは、私にとってよかったかどうか、私にとって充実していたかどうかだけです。

ただ、参加者全員が「今日の哲学カフェは充実していた」と心から感じれたら、それは「よい哲学カフェ」と言ってよいと思います。

対話に参加していない第三者がなんといおうと。

そして、自分がどんなに楽しくても、他に楽しめていない人がいたら、やはりそれは「よい哲学カフェ」とは言い難い気がします。

 

自分が楽しめていないときは、なぜ楽しめていないのか考える。

自分が楽しいときには、他の人も楽しめているかどうか気にかけてみる。

楽しめてなさそうな人、楽しめているかどうかわからない人がいたら、声をかけてみる。

そうすることによって、理想とする対話像が異なる人同士でも、「思ってたのとちがったけれど、思ってたより面白かった!」が実現できるのではないかなぁ。