まつかわえりのてつがく日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川絵里のブログです。

第1回 日本哲学プラクティス学会

昨日、8月26日(日)は、東京で開かれた第1回 日本哲学プラクティス学会に参加してきました。

 

哲学プラクティスとは、コミュニケーションを介した哲学実践の総称。

具体的には、哲学カフェ、子どものための哲学、ソクラティックダイアローグ、哲学カウンセリング(哲学相談)などがあります。

いわゆる、哲学対話のことですね*1

 

この日は、日本各地で哲学対話を実践している哲学プラクティショナーたちが集まって、各々実践について発表したり、ワークショップを開いたり。

ヒントや課題をたくさんいただきました。

 

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わたしもシンポジウム「哲学プラクティスの『場』とは?」に登壇させていただきました。(撮影:野村泰介)

 

特に、最後のシンポジウムで出た「大きな川」問題。

それが、哲学を専門的に学んだ人とそうでない人のあいだの川なのか、専門家と市民のあいだの川なのか、未だ理解が追いついていないけれど‥‥‥気になって、帰りの新幹線でずっと考えていたこと。

 

わたしは一体、その川のどこにいるんだろう?

 

大学でたっぷり哲学を学ばせてもらったし、プロの哲学プラクティショナーとして活動してもいる。

そういう意味では、「専門家」のように見えるかもしれない。

でも、プロの哲学プラクティショナーと、哲学プラクティスの専門家は違う気もする。

プロのアーティストと、アートの専門家が異なるように。

光栄なことに、「両岸をつなぐ橋のような存在かもしれない」とおっしゃってくださる方もいたけれど、わたしにはあまりその感覚はなく‥‥‥(結果的にそうなればうれしいけれど)。

 

ふと浮かんできたイメージは、川ではなく海に、ぽつんと浮かぶ小舟でした。

岡山にやってきたとき、他に哲学プラクティスをする人がいなかったからでしょうか。

一緒に哲学してくれる人を探して、一人で海を航海している感じ。

 

でも、孤独ではありません。

カフェでもバーでも本屋でも公民館でも福祉施設でもNPOでも企業でも地域でも、行った先の島には一緒に悩んだり迷ったり考えたりしてくれる人たちがいるから。

わたしにとっては、哲学対話に参加してくれるお客さん、哲学対話を依頼してくれるお客さんが、仲間です*2

 

じゃあ、今回の学会に集まった他の哲学プラクティショナーたちは?

仲間は仲間だけど、ちょっと種類がちがう。

他の海でがんばってる舟や船に出会えた!って感じかな。

わたしのようにあちこち回遊してる舟もあれば、ほぼ1つの島に停泊してがんばってる舟も。

言葉が通じず戸惑うこともあるだろうけど、こうしてたまに交流して、情報交換したり航海の仕方を学び合ったりできるといいな。

戸惑いに耳を傾け合える関係でいられるといいな。

 

そして、いまでは岡山にも、何艘か舟が浮かんでいます。

自由に楽しく、互いの活動から学び合ったりときにコラボしながら、「大都会岡山*3」を航海してゆきましょう。

 

*1:「哲学プラクティス」だと日本人にはピンときにくいので、わたしは「哲学対話」という言葉を使うことが多いですが、国際的には「哲学プラクティス」のほうが一般的です(わたしは勝手に「てつぷら」と略しています)。たとえば哲学カフェ発祥地、カフェ・デ・ファールで哲学カフェをしているラミレズさんは「哲学カフェは対話ではない、討論だ」と言っているそうです(『哲学カフェのつくりかた』(大阪大学出版会)第11節を参照)。

*2:学校や大学も、わたしにとっては哲学対話を依頼してくれる(かもしれない)お客さんだったりします。

*3:人間関係の密度が総合大学っぽいとお伝えしましたが、もうひとつうれしいのが、領域ごとの分断があまり感じられないことです。