昨日は、尾道へ向かう途中の電車で、こちらの論文を読みました。
河野哲也「対話による人間の回復:当事者研究と哲学対話」(立教大学社会福祉研究所紀要第33号、pp.3-12)
毎日小学生新聞の連載「てつがくカフェ」でご一緒している河野さん(コーノさん)の論文。
何か調べ物をしているときに、たまたま見つけました。
ここでは、当事者研究と哲学対話の共通点を「市民の主体性(シチズンシップ)の復権の活動」に見出されています。
特に「差異による理解」という点に、惹かれました。
一方で、医学的には異なる疾病(自閉症スペクトラムと脳性マヒ)と診断される綾屋紗月さんと熊谷晋一郎さんの共同作業による当事者研究を参照しながら‥‥‥
差異による客観化とは、綾屋と熊谷の研究のような自己認識のあり方である。同様に、べてるの家の相互的な自助援助も、自己をさまざまな人間のあり方(「苦労」)のなかに自己を差異化して定位させることに大きな意味があるのではないだろうか。いや、対話には、コミュニケーションには、そおそもそうした差異化による自己認識の過程が本質的に含まれていないだろうか。(河野哲也「対話による人間の回復:当事者研究と哲学対話」(立教大学社会福祉研究所紀要第33号、p.6)
哲学対話に関する分析でバフチンを参照しながら‥‥‥
私たちは自分だけで思考しているつもりになっていても、思考においてはつねに言葉を使うのである限り、バフチンの多声性、すなわち、さまざまな他人の声の残響が異物のままにとどまるような性質が自己の思考野中に含まれているのである。したがって、思考とは本質的に政治的な活動である。(河野哲也「対話による人間の回復:当事者研究と哲学対話」(立教大学社会福祉研究所紀要第33号、p.8)
- 作者: ミハイル・バフチン,Mikhail Mikhailovich Bakhtin,新谷敬三郎,佐々木寛,伊東一郎
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わたしが哲学カフェを実践するうえで重視してきた差異も、コーノさんがここで述べられていること同じなんだろうか? 考えてみたい。