まつかわえりのてつがく日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川絵里のブログです。

遺族のためのがんカフェ

昨日7月31日(火)は、遺族のためのがんカフェを開催しました。

 

もともと、がんで闘病中の方の家族対象を想定して企画した「家族のためのがんカフェ」に、「遺族も参加できますか?」というお問い合わせとご要望をいただいて、実現しました。

みなさんの声から実現した企画。

企画者の菱沼さんと合わせて10名のご遺族が集まりました。

(この活動を見守ってくださっている山陽新聞の記者さんも来てくださいました。)

 

 

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2018.7.31 遺族のためのがんカフェ


最初の自己紹介&ウォーミングアップで、参加しようとおもった理由や他の人に聞いてみたいことをうかがったあと、特に関心の高かった「心の整理をどうやってつけてる?つけられない?つけるべき?」という疑問から、さまざまな気持ちが溢れてきました。

これまでの「家族のためのがんカフェ」でも感じましたが、泣けない方、泣くことを我慢されてる方が多い。

そういう方も、がん患者さんのご家族・ご遺族という同じ立場の方の前で、言葉にできなかった想いを言葉にすることによって、ここでは涙を流せる。

それって大事なことだなぁ、開催してよかったなぁと思います。

主催者として、箱ティッシュを用意していかなかったことを反省。

 

そんなふうに、考えることより、これまで言葉にできなかった気持ちを言葉にしてみることに重きをおいた場でしたが‥‥‥

 

 大切な人を亡くすってどういうことなのだろう?

 いま自分が生きてるってどういうことなんだろう?

 

そんな問いが、ごく自然に、しみじみと浮かんできたことにも感動しました。

 

特に、「辛いけれど、この辛い時間も、亡くなった家族との時間なんじゃないか」という言葉が印象に残っています。

がんで亡くなった方のご遺族といっても、その関係は親、配偶者、子どもといろいろ。

亡くなってからどれぐらい経ったかも、四十九日ごろ、1年前後、数年、10年以上などいろいろ。

心の整理がつくかどうかも、あるきっかけで段階的にという人、特にきっかけもなく少しずつ気づいたらという人、まだ全然整理できない人、直後よりいまのほうが辛いという人など、いろいろ。

けど、どなたの話をきいても、そのご家族が大切な人だからこそ辛いんだなぁ、それだけその人が大きかったんだなぁ、と感じました。

そして、大切な家族がいなくなった世界で、自分が生きていることの不思議さと意味。

 

みなさんのお話をうかがっていると、本当にこういう場が必要とされていることを実感します。

なかには、「ここに参加することは、大切な人がもういないことを認めることだから、参加するかどうか迷った」という方も。

何ヶ月か経って「こういう場が自分には必要かもしれない」と思い直して参加された。

けど、やっぱり認めてしまうのがこわい気持ちもある‥‥‥

そういう気持ちも含めて、大切にしていきたいです。

 

 

ご参加してくださったみなさん、本当にありがとうございました。

 

次回の家族のためのがんカフェは、9月15日(土)、

遺族のためのがんカフェは、10月23日(火)を予定しております。