まつかわえりのてつがく日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川絵里のブログです。

「無理する?無理しない?」@Ziba platform

こんにちは。

7月14日は、マルイ・エンタープライズキャピタルが、津山で地域の〈地場〉になるようにとつくったZiba platformにて、2回目の哲学カフェでした。

1回目のレポートはこちら→

 

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もともとは7月7日に予定されていましたが、西日本豪雨の影響で延期に。

1週間たったこの日も、まだJR津山線が動いてなかったので、初めてバスで津山へ参りました。

 

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確実に座りたかったので早めに天満屋バスステーションへ

 両備バスで片道800円と電車よりリーズナブル。(ただ、帰りは終バスが哲学カフェの真っ最中の15:20発。今回は、岡山方面へ用事のあるスタッフの方に送っていただきました。)

約2時間で、会場に到着。

 

この日のテーマは、「無理する?無理しない?」。

先月、ヒバリ照ラスで似たようなテーマでやりましたが、今回はまたちがった展開。

 

冒頭に、「部下に『無理しないで』と声をかける一方で、『そこは、無理してでもがんばってほしい』とも思ってしまう」という方と、それに対して「『無理しないで』は挑発だ」という方。

両者の分水嶺はどこにあるのか探りながら、ひたすら「無理しないで」という言葉について考える2時間でした。

「無理しないで」は挨拶のようなものなのか、それとも相手の状況をみて発せられる気遣いなのか。

どんな関係の相手に使う言葉か。

「無理」という言葉の曖昧さ(「できない」なのか「背伸びすればできる」なのか「嫌い」なのか)。

 

様々な側面から検討していき、ひとつひとつは興味深い体験談や意見が出てきますが、なかなか最初の二人が「それだ!」と交わる点がなかなか見つからないまま、1時間15分ほどが経過したころでしょうか。

面白い発見がありました。

それは、「『無理しないで』という言葉は、相手の行為をよいと思っているときしか使わない」という指摘。

たとえば、息子が受験勉強で夜遅くまで勉強しているとき、「無理しないで」と言ったとしても、だからといって勉強せずに寝てほしいわけではない。

たとえば、息子が暴走族で夜遅く出かけるとき「無理しないで」とは言わない。

ここから、「無理しないで」という一言の中に、相手の背中を押しながらブレーキをかけるような、矛盾するような側面があることが明らかになりました。

そして、ここからオセロの駒を端から端まで一気にひっくり返すように、次々とこれまでの見解のズレがかみ合い出す劇的な展開。

最初「『無理しないで』なんて曖昧な言葉ではなく、具体的な指示がほしい」と言ってた方が、「具体的に言ってほしいという気持ちは変わらないけれど、曖昧な言葉ならではの良さもあることがわかった」と言い出したり、部下への気遣いから『無理しないで』と声かけしていた方が、「自分ではそのつもりはなかったけれど、どこから上から目線だったり、過去の自分の経験を当てはめすぎているところがあったかも」などなど、異なる視点から自分たちの考えや行為を見つめ直す時間となりました。

 

さすがにこの日は西日本豪雨の被災者支援でお忙しい方もいて、参加者は5名と少なかったけれど、それはそれで、ひとりひとりの個性が感じられて、大変濃い時間でした。

JRがとまっているなか、この時期にうかがっていいものかどうか少し迷いもしましたが、地域の方が集い、つながり、つくりだす磁場となるようにとの願いから生まれた場。

気軽に参加できる場をご用意するのはもちろんのこと、気軽に「今回は行けないけど、また今度ね」と言えるような、継続の仕方をしていけるといいな。

ちゃんと次回の打ち合わせもしてきたので、今回参加できなかった方も、ご安心ください。

またお会いできるのを楽しみにしています。

 

ご参加くださったみなさん、Ziba platformのみなさん、ありがとうございました。

 

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Ziba platform

 

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みなさん早めに集まってくださったので、スライドをつかって哲学カフェの説明もまったりできました。