時を遡って‥‥‥先月の5月19日は、津山市でいや、津山市に限らずおそらく県北で初めての哲学カフェでした。
会場のZiba platformは、呉服店の跡を改修してつくられた、シェアオフィス兼コミュニティスペース。
スーパーのマルイが立ち上げたNPOマルイ・エンゲージメントキャピタルが手がけ、名前には、地域の「磁場」のような場をという思いが込められているそうです。
Ziba platforについては、日経のこちらの記事がわかりやすいかも。
また、この週末は津山で「図書館総合展2018フォーラム」が開かれており、まちのあちこちで関連イベントが。
Ziba platformにも、「まちなかライブラリー」として様々な本が並んでました。(私好みの暮らしに関わる本や絵本もたくさん1)。
今回は、この「図書館総合展2018フォーラム」をきっかけに、津山でも哲学カフェをはじめたい、というご依頼。
たしかに、「人と職をつなぐまちなか拠点」となろうとしている場所に、哲学カフェはぴったりですね。
テーマは、「本」か「学ぶ」に関連したものがよいだろうとあれこれ相談した結果、いろんな人が集まりそうな「理解するってどういうこと?」に。
8名の方が集まってくださいました。
まず、参加者のなかで違いが現れたのは、「理解」と聞いて何が思い浮かぶか。
機械や社会の仕組みのようなものを思い浮かべる人と、身近な人間関係を思い浮かべる人、二つに分かれました。
今回は初めて哲学対話を体験する人ばかりということもあり、今回の進行は、この両者がともに関心をもてるポイントを探りながら、一方の話をしているときにもう一方の関心が置いてけぼりにならないように気をつけながら、ということに最大限の注意を払うことにしました。
その結果、両者に共通するポイントとして、以下が浮かび上がってきました。
- 「わかっているけれどできないのは、本当に理解してしていることになるのか?」、「できるということは、言葉で説明できなくても理解していることになるのか?」といった、「わかる」と「できる」の関係について。
- 「理解したい」という気持ちはどこから?(人間関係を思い浮かべる人にとっては、「理解してほしい」という気持ちはどこから?もポイントに)
- 「理解すること」は、本当に必要なのか?
これらのポイントが浮かび上がるきかっけになった体験談も興味深く、特に、消防団の方の「あいつとは言わなくても、何をすべきか理解している」という話や、「理解してほしい相手でも、何もかも全てを理解してほしいわけじゃない」といった話が特に印象に残っています。
こんなふうにはじまった、Ziba platformでの哲学カフェ、今後も2ヶ月に1回ぐらいのペースで続けて行く予定。
参加者のなかには、毎月来て欲しい!という方もいましたが(なんと、ありがたい1)、次回は7月7日(土)に開催の予定です。
テーマや時間が決まったら、詳細お知らせしますね。
周囲には、居心地のよい素敵なカフェやお店がちょこちょこあります。
県北にお住まいの方は、ぜひ、ぶらっと遊びにきてください。
わたしも、遊ぶ気満々で通います!