昨日3月1日は、長島愛生園の見学へ行ってきました。
一緒に尾道で哲学カフェをしているantenna Coffee Houseのマスターが行くとうかがって、便乗させてもらいました。
「ハンセン病の方のための療養施設」と紹介されることが多いけれど、現在はハンセン病は治すことができるので、ハンセン病の患者さんは皆無。
「ハンセン病による後遺症のある方のための療養施設」というのが正確だそうです。
団体さんに便乗して、
とフルコースで学んできました。
天罰だとか遺伝病だという誤解は、なぜ生まれたのか。
感染力が弱いにも関わらず、なぜ患者は隔離されたのか。
治療薬ができてからも、なぜ彼らは島を出られなかったのか。
長島愛生園歴史館学芸員の田村さんはおっしゃいます。
「愛生園で暮らす人たちは、かわいそうな人じゃない。困難を乗り越え生きる強い人だ」
たしかに、入所者の作品や語り部の方の言葉に触れると、その強さに心打たれます。
けど、こんなふうに強くならざるをえない状況に人を追い込んじゃ、やっぱりダメだよね。
そう思ったとき、こないだフリーデザイン岡山の哲学カフェで出た「弱いままでもいいじゃない」という仮説がふと浮かんできました。
哲学カフェでは「弱いままでもいい」という言葉を、等身大の自分を承認する言葉として受け取っていたけれど、強くならざるを得ない状況に人を追い込む社会への警鐘、そう捉えてみることもできそうです。
「無知は罪」とまでは、私には言えません。
私は私で当事者として抱えている問題があって、この世のどんな問題にも精通するできるような余裕なんてない。
けど、無知に甘んじることは罪だ、と言わざるをえない。
知らないことを恥と感じず知ろうとしないことが、差別や偏見を助長し、強くならざるをえない社会をつくり出してしまう。
どうしたらいいんだろう?
愛生園の方々の言葉のなかにそのヒントを見つけました気がしますが、長くなりそうなので、まだ今度。
【参考】
瀬戸内の負の遺産を世界遺産へ。史跡をめぐりながら学ぶ長島愛生園見学ツアー - おか旅│岡山の観光総合サイト おかやま旅ネット【公式】