まつかわえりのてつがく日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川絵里のブログです。

私が私として話すということ

 

昨日、午前中にアーレントの『人間の条件』の読んでから、スロウな本屋さんにお邪魔したら、えほん哲学カフェに何度か参加してくださった方とばったり。

 

slowbooks.jp

 

哲学カフェの魅力をこんなふうに語ってくれました。

哲学カフェでは、私が私として話してる。日々、いろんな役割をこなすので精一杯だけど、私として話すことも必要なんだな〜って。

(えほん哲学カフェの参加者の言葉。ただし、松川の記憶によるものなので、正確な再現ではありません。間違っていたらごめんなさい。)

 

あれ?これって、アーレントが言ってることじゃない?

人々は活動と言論 において、自分がだれであるかを示し、そのユニークな人格的アイデンティティを積極的に明らかにし、こうして人間世界にその姿を現わす。

(ハンナ・アレント『人間の条件』志水速雄訳、ちくま学芸文庫p.291)

 

もっとよい引用箇所があるかもしれないけど。

人間の条件 (ちくま学芸文庫)

人間の条件 (ちくま学芸文庫)

 

 

 

思えば、私が岡山で最初に哲学カフェをはじめる前も、なんだか「私が私として存在している時間がない」という切迫感があった。

「○○さんの奥さん」。

この土地に自分がそういうふうにしか存在できないのが、心許なくて仕方なかった。

別に、夫が頼りないとか、夫の前で自分を偽っていたなんてこと微塵もないけれど。

それでも、夫との関係を理由にこの土地にやってきたので、夫との関係がなくなれば、私の存在そのものがこの土地から消えてしまうような怖さがあった。

哲学カフェをはじめて、ようやく、私が私としていられる気がした。

 

ときどき「社会貢献でやってるんですか?」と言われるけど、とんでもない!

「社会貢献」なんて気持ちで、こんなことをするだけの余裕はありません。

ただ、私が私としていられるためにやってる気がします。

けど、それってどういうことなんだろう?

 

引き続き、考えたいと思います。