今日は、岡山市高島公民館の哲学カフェ、ふたばカフェでした。
テーマは、「嫌い・キライ・きらい?」。
事前にみなさんと打ち合わせしたときは、「漢字の『嫌い』、カタカナの『きらい』、ひらがなの『キライ』でちがうんじゃない?」なんて話がでてこうなったのですが、今日はその方向には展開せず。
なので、ここでは深く考えず「嫌い」という表記にしておきます。
また、モノではなく、ほぼほぼ人に対して「嫌い」と思ったり言ったりするってどういうこと?をめぐる展開でした。
テーマがテーマだけに、具体的な体験について誤解や憶測のないよう触れるのは難しいので、論点だけご紹介しておきましょう。
- 「嫌われた」と思うと嫌いになる?→相互性と負のスパイラル
- 嫌いって伝える?伝えない?→「伝えたほうが偽らずにすむ」vs.「伝えたら相手を傷つけてしまう」
- 「嫌い」と「苦手」や「不快」の関係は?
- 「嫌い」は「好き」の反対?
- 意識的に誰かを嫌いになることはできる?できない?
- 「嫌い」は、自分の中にある感情?それとも、態度や振る舞いとして表れるもの?
8名といつもより少ない人数でしたが、たくさんの切り口が出ました。
なかでも私にとって印象的だったは、「嫌いにならないと(なろうとしないと)、自分を保てないことがある」という言葉です。
相手と自分は価値観や考え方がちがう。
そう認識するだけで、適切な距離を保ち、心地よい関係を保つことができればよいけれど、場合によってはそれじゃ適切な距離や関係を保てないことがある。
そういうとき「嫌い」と思ったり伝えたりすることで、(たとえ心の底から嫌いにはならなくても)程よい距離や関係に落ち着くことができることがある。
それは恋愛についての発言だったのですが、それまで出てきたどの例にも、そしてみんなの前ではあえて言わず秘めていた体験にも当てはまる気がしました。
次回のふたばカフェは、2月13日(火)。
テーマは、「甘やかすってどういうこと?」です。