まつかわえりのてつがく日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川絵里のブログです。

がんカフェ「ナラティブ(語り)」

こんにちは。

先週は珍しく一切哲学対話の予定がなく、のんびり。

友人とおしゃべりしたり、病院の定期検診にいったりと、心身のメンテナンスができました。

のんびりしすぎて、ご報告が遅くなりましたが‥‥‥

 

先々週の11月4日(土)は、神戸で活動する患者のウェル・リビングを考える会主催のがんカフェにお招きいただきました。

珍しく、進行役としてではなく、話題提供者としての参加です。

自分の体験を話そうかとも思ったのですが、そちらは現在進行形でうまく話せる自信がなかったので、自己紹介にとどめることに。

新婚半年で末期がんと告知された友人、千佳世さんのお話をさせていただきました。

 

 以前も「リビングウィル」という視点から彼女の選択についてお話をさせていただいたことがあります。

が、今回は「ナラティブ」がテーマということで、前は話さなかった千佳世さんの人柄や、人生をどのように歩んできたのかにも触れながら、がんや治療が千佳世さんの人生のなかで千佳世さんにとってどういう意味(NBM視点)をもっていたのか、それが医師が考えてたいた意味(EBM視点)とどのようにズレていたのか、その齟齬を千佳世さんの家族がどのように解消したか、ご紹介させていただきました。

これが、千佳世さん自身によるナラティブではなく、彼女から直接きいた話、彼女が残した闘病日記、彼女を紹介した毎日新聞の連載「千佳世は生きる」などから、友人の私が勝手に再構成したナラティブであるということにも十分注意が必要かと思います。

 

その後、大阪大学の堀江剛さんの進行のもと、参加者も交えて「ナラティブ(語り)」について話し合いました。

私の話題提供では、語りの「意味」に力点を置いてお話しさせていただきましたが、みなさんとの対話では、「話す」と「語る」の違いや、語る側と語られる側の関係について考えることができました。

 

「《話し合い》は学級会のイメージで、《語り合い》は居酒屋のイメージ」という私の発言もなかなかだったと自画自賛したいところですが‥‥‥

今後もぜひ考えたいと思ったのは、「《話す》のではなく《語る》には安心が必要」という切り口の、その先です。

特に「語る側さえ安心できたらいいの?語りによって語られる側の安心が揺らぐこともあるんだけど」という指摘。

医療者の戸惑いや、マイノリティの問題をどう共有していくかを考えていくうえでも重要ではと思いました。

 

準備段階ではNBMとかナラティブ・セラピーとか意識してお話を用意したんですが、そこには収まらないような「語り」について語り合えた気がします。

久しぶりに純粋に参加者として対話を楽しめ、気づきや今後考えたい問題も得られて、大変充実した時間でした。

ご参加くださったみなさん、進行の堀江さん、患者のウェル・リビングを考える会のみなさん、ありがとうございました。

 

私の「病いの体験から」についてはこちらをどうぞ。がんではなく、子宮内膜症の体験です。↓

ファミリー・リビングウィル

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