まつかわえりのてつがく日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川絵里のブログです。

「権力・場・主体 : フーコーとブルデューの社会分析」

書誌情報(本文PDFあり)

 

概要

 ミシェル・フーコーは、その権力論において「抑圧/解放」という図式で権力を語る法的モデルに基づく権力論を批判し、知と権力の内在的関係を主張する新しい権力概念を提示した。それによれば、私たちは、自らの意志にしたがって行動しているにもかかわらず、知を通して無意識のうちに社会的制約を受けていると考えられる。一方、ピエール・ブルデューもまた、その社会分析において、私たちの判断や行動が、所属している社会集団に固有の知覚・判断・行動図式の体系によって、無志識のうちに厳密に方向づけられていることを示した。彼らの社会分析は、権力を、行為を抑圧するものとしてではなく、行為の算出そのものに関わる生産的な性格をもつものとして捉えている点で一致している。そして、その分析理論は、性という切り口から社会的な制度が私たちの生活に与える影響について論じてきたジェンダーセクシュアリティ研究に多大な影響を及ぼしてきた。

 にもかかわらず、ジェンダーセクシュアリティ研究における彼らの評価は全く異なるように思われる。フーコーが、セックスの社会的構築を論じたことで高い評価を得る一方で、ブルデューの分析は、「性別カテゴリーを前提してしまっている」と批判される。また、プルデューの社会理論が男女のあいだにみられるジェンダーの非対称性の分析に用いられるのに対しむ、フーコーは、男女のあいだにみられる非対称性や支配関係を無視している、つまり「ジェンダー・ブラインド」であると批判される。一体、このような評価の差異は何に由来しているのだろうか?

 本稿では、この問いに答えるため、「場」という視点からそれぞれの社会分析論の特徴を明らかにし、その差異がジェンダーセクシュアリティ研究にもたらす決定的な方向性の違いを示したい。