てつがくやさんの気まぐれ日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川えりのブログです。

哲学ウォーク「平和と知恵」@牛窓オリーブ園

4月4日(木)は、牛窓オリーブ園で哲学ウォーク第2弾!でした。

 

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春のオリーブ園も気持ちいい!

 

哲学ウォークとは、オランダの哲学者ピーター・ハーテローさんが考案したワーク。

哲学者の言葉片手に、その言葉に関連するスポットとコンセプトを探して歩きます。

スポットとコンセプトが見つかったら、「ストップ!」

みんなでシェアし、それに対して他の人から質問をしてもらいます。

もらった質問から1つ選んで、残りの行程はその質問の答えを考えながら歩きます。

 

ci.nii.ac.jp

 

この日は、オリーブの花言葉である「平和と知恵」をキーワードに、哲学者の言葉を選んでみました。

みなさんが見つけたコンセプト、考えた質問とともにざっとご紹介しましょう。

 

「発言する力なき知恵は、無益なり。」(キケロ

→「選択」

Q. 発言する力なき知恵は無益か?

 

「知恵とは、求めるべきもの、および避けるべきものについての知恵なり。

」(キケロ

→安全

Q.人生であなたが求めているものは?

 

「平和と自由を別にすることはできない。なぜなら、自由でなければ誰も平和ではありえないからだ。」(マルコムX

→平和な自由

Q.自由の反対は束縛?

 

「真の平和とは、単に緊張がないだけでなく、そこに正義が存在することである」(キング牧師

→緊張のある平和はある?

 

「平和が権利のためにあるのではなく、権利が平和のためにあるのだ。」(マルティン・ルター

→目的と手段

Q.権利と平和の順番は大事?

 

「平和への道はない。平和こそが道なのだ。」(ガンジー

→続けていくこと

Q.平和は何をつなぐ?

 

「知恵深き人は、武器に頼ることはしない。」(老師)

→「開く」

Q.力のない者は平和をつくれないか?

 

全員がスポットを選んだら、こだわりいっぱいのカフェ、山の上のロースタリへ。

 

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珈琲で体調を崩しやすい松川ですが、ここのカフェラテはなぜか大丈夫。

 

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はじめていただいたブラウニーも絶品!


キノシタショウテンさんのドリンクをいただきながら、お互いの質問の答えを聞き合い、「平和と知恵」について考えたこと、気づいたことをシェアしました。

平日にも関わらず、学校の先生や近所のジェラード屋さんなど、いろんな方が参加してくださって、最後まで大いに盛り上がりました。

ご参加くださったみなさん、ありがとうございました!

(ご近所のジェラード屋さん、copioさん、次行く時は寄ります!)

 

そろそろ桜は終盤になってしまいますが、オリーブ園はこれからがいい季節だそうです。

みなさんもよかったら、遊びに行ってみてください。

 

gurutabi.gnavi.co.jp

「家族って何者?」@ヒバリ照ラス

ふりかえりの順番が前後してしまいますが、記憶の新しいところから‥‥‥
(他のレポートは準備中です。少々お待ちください。)

 

第2水曜日夜は宝湯で考える!

ということで、昨日(4月10)は、銭湯の2階で「家族って何者?」という問いと大格闘してきました。

 

www.facebook.com

 

法律的な関係、帰るところ、ご飯を一緒に食べる人、信頼、身近さ、不要関係「私たちは家族」という共通認識、愛情、選べないセーフティネット、自分が家族と思えば家族?家族と周囲に認められることの意義、家族は一人に一つだけ?認知症で家族とわからなくなっても家族?家族っぽい他人と他人っぽい家族、「家族」に求めるものと求めるとは別次元の家族、家族と倫理…。

 

哲学カフェで「家族」を取り上げる度に、家族観ってほんとに人によって様々だなと思うけれど、さらに昨日は、一人の中にもいろんな家族観が存在していることが感じられました。

終わってからふりかえると、部分的に「家族はこうあるべし」という当為と「ないほうがいいけれど、実際にはこういう家族もいるよね」という事実が、ごっちゃになっていたかも。

そこんとこもうちょっとスマートに整理できれば‥‥‥

と若干反省しつつも、もし「家族」という言葉がそういうすれ違いを生じさせるのだとしたら、それはそれでものすごく興味深いことでもあるなぁ。

 

あと、ある人の家族経験が、他の人に「そんな家族、ある!?」という大きな戸惑いを引き起こすのも、「家族」というテーマの特徴だなぁ。

自分が思う「家族」のポイントが、別の人には全く当てはまらなかったりする。

それで「ここに今いるみんなが、家族じゃないと思うなら、それはなぜ?」と否定の理由から共有できないかと試してみたけれど、うまくいったかどうかは謎です。

 

 

帰り道に対話を思い出しながらもう一回考えてみて、哲学カフェで自分が言ったのとは全くちがう「いいとこ取りできないのが家族」という言葉が浮かびました。

この仮説も出したら出したで紛糾しそうだけど、みなさんとの対話を経て、対話前に自分が考えてたのとは別の次元で家族を捉えられたことに感謝です。

ご参加くださったみなさん、ありがとうございました。

「話す?話さない?」@岡山大学病院

3月31日(日)は、岡山大学病院の医療者や医学生を対象とした哲学カフェ第2弾!

今回は、岡山大学の薬学部の方や他の部署の方もきてくださいました。

 

テーマは、「話す?話さない?」。

インフォームドコンセント必須の昨今ですが、実際には、何をどこまで詳しく話すか迷うこともあるんじゃないかなぁ。

医療現場だけでなく、日常生活でも、誰に何をどこまで話すか、話さないほうがいいのか、迷うことあるし。

と思って、提案させていただきました。

 

病状や治療に関するコミュニケーションに関する、

「治療のよい側面を強調して話すのってどうなんだろう?」

 

 

「相手が求めていることを言う?それとも、相手が聞きたくなくても言うべきことがある?」

「医療現場で満足度の高いコミュニケーションとは?」

といった疑問について考えたり、

日常生活について、

「正しいことを言われるのはキツイ」、

「政治や宗教の話はしちゃいけないってほんと?」

という違和感の指摘があったり。

 

今回偶然、プライベートな検査でお世話になったお医者さんが参加してくださっていたのですが、その方が、

「私は、話す/話さないより、相手に合わせた話し方をしてる」

とおっしゃるのを聞いて、「なるほど、私に合わせて説明してくれてたから、あんなに満足度が高かったのか!」と納得したり、

「私は逆に、相手によって説明がブレないように、自分なりの軸を持つようにしている」

という話を聞いて、「それはそれで、私の仕事にも当てはまるところがありそう」と感心したり。

全く逆の意見にも、それぞれ説得力があって、興味深かったです。

(わたしも哲学カフェの説明をどうするか考えるときの参考にしよっと)

 

他にも、医療者にとっては本人より家族のほうが伝えやすく感じることがあっても、

「患者家族になってみたら、家族にとっても告知は十分キツかった!」

という声があったり。

 

やっぱり医療現場のコミュニケーションも複雑で、医者という同じ立場でも様々な考え方があって、考え甲斐がありますね。

医学生にとっても、医療の現場で働く先輩方の様々な考え方に触れるのは、参考になるのでは?
そして、それを引き出すきっかけとなった医学生の疑問にも、心のなかで拍手喝采を送っちゃいました。

 

ご参加くださったみなさん、お招きくださった先生、ありがとうございました。

 

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2019.3.31「話す?話さない?」@岡山大学病院