まつかわえりのてつがく日誌

はなして、きいて、かんがえるをお手伝いする〈てつがくやさん〉、松川絵里のブログです。

「家族ってなに?」@江田島、「結婚」@ヒバリ照ラス

11月13日は久しぶりに広島県江田島へ。

大柿市民センターにて、「家族」をテーマに哲学カフェをしてきました。

 

12人ぐらいで輪になって、

「家族は一番近い他人」

「血が繋がってなくても家族と思うのはどんなとき?」

「家族の境界って?」

「別れても家族?」

家族の境界が明確なひとと、家族と共同体の区別が曖昧なひととのギャップ、

などなど。

 

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2018.11.13「家族ってなに?」@大柿市民センター(撮影:峰崎真弥)

 

さらに、その翌日の11月14日(水)は、ヒバリ照ラスの哲学カフェで「結婚」について語る。

多夫多妻に通い婚など様々な結婚のあり方をめぐるやりとりから始まり、

結婚の目的や、結婚を結婚たらしているものは?との問いに、お金、愛、勢い、肉欲‥‥‥。

「メリット、デメリットを超える何かがあるのでは?」という意見と、「そうはいっても、それもまたメリット、デメリットにあたるのでは?」という意見。

などなど。

 

「家族」と「夫婦」、どちらも、それぞれの家族観、夫婦観があって、一般的な「家族とは?」「夫婦とは?」を考えることにはあまり意味がないのかも。

と思う一方で、家族や夫婦で、家族観、夫婦観の異なると、難しい。けっこうしっかり話し合わないといけない問題になる場合もありそう。

 

「家族ってなに?」「夫婦ってなに?」という問いが、どういうときに、考えるべき問いになるかを考えさせられる哲学カフェでした。

 

ご参加くださったみんさん、ありがとうございました。 

 

12月の参加者募集中〜哲学ウォーク、哲学カフェ、質問セミナー

12月に開催予定で、参加者募集中のイベントです。

どなたでもご参加いただけます♪

詳細やお問い合わせ、お申し込みは、各リンク先をご覧ください。 

 

プラトンの言葉に触れる哲学ウォーク・カフェ
日時:12月1日(土)13:00~16:00
場所:牛窓オリーブ園(集合は第一駐車場)

 
哲学カフェ尾道「ネガティブっていけないことですか?」
日時:12月9日(日)15:00〜17:00
場所:antenna Coffee House(尾道市
 
 

ヒバリで考える(10)「センスがいいってどういうこと?」
日時:12月12日(水)19:30〜21:00
場所:ヒバリ照ラス(岡山市北区
ヒバリで考える(10)「センスがいいってどういうこと?」

 
 
カフェフィロ「質問力を鍛える!?」セミナー
日時:12月23日(日)9:30-16:30
場所:尼崎市女性センター トレピエ(尼崎市

「理解するってどういうこと?」@鳥取大学、岡山大学病院

今月は2回、大学で「理解するってどういうこと?」をテーマに哲学カフェをする機会がありました。

1回目は、11月7日(水)に鳥取大学で。

「ワークショップ入門」なる授業(地域学部の学生さんが受講しているそうです)のゲスト講師としてお招きいただきました。

2回目は昨日11月18日(日)に岡山大学病院で。

医学生や先生などを対象に、哲学カフェを開きました。

(どちらも内輪向けなので、学外での広報はしていません。)

 

いくつか、共通して出てきたのは、

  • 「理解する」と「わかる」はちがう?
  • 身体的にわかるのと、頭で理解するのはどうちがう?

という論点。

しかし、その後は全くちがう論点でちがう展開。

半月の間に2回同じテーマでも全然飽きませんでした。

 

鳥取大学のほうで特に印象に残っているのは、

「わかるわかるー」って言っちゃう人と言われるとイヤな人のちがい。

理解に関する期待値のギャップと、なにがそのギャップを生み出すのかについて考えることができました。

 

岡山大学病院のほうで特に気になったのは、

相手の話がわからないときに、自分の理解力不足と思うときと相手がおかしいと思うときの違いはなにか。

それから、概念的な理解の特徴やその功罪について。

 

もうひとつ、このテーマは、ライブ感を味わえるのがいいですね。

どちらでも、ちがった仕方で、その場で出た発言や出来事について、「いまの理解した?してない?」と問われる瞬間があり、その瞬間の一体感がたまりません。

 

お招きくださったそれぞれの先生、ご参加くださったみなさん、ありがとうございました。

リビングおかやま、リビングくらしきに掲載されました。

2018年11月17日付けのリビングおかやま(1617号、1面)とリビングくらしき(1520号、2面)で、ヒバリ照ラスの哲学カフェ「ヒバリで考える」が紹介されました。

限りある紙面のなかで、哲学カフェの特徴やこの日の哲学カフェの様子、参加者の声など、過不足なく伝えてくださってうれしい!

取材にご協力くださった参加者のみなさん、ありがとうございました。

 

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こちらはリビングおかやま。「カフェでつながろう」特集です。

 

『ウラオモテヤマネコ』@東京ウィメンズプラザ

11月9日の夜は、東京でえほん哲学カフェ。

(たまたま家族の用事で関東に行く機会があったので、それに合わせてカフェフィロで企画してもらいました。)

 

仕事帰りに大人がゆったり自分に向き合うのにふさわしい絵本は?

ということで、大好きな井上奈奈さんの『ウラオモテヤマネコ』を読むことに。

 

ウラオモテヤマネコ

ウラオモテヤマネコ

 

 

以下、ネタバレご容赦ください。

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「ジェンダーフリー?」@立憲フェス

だいぶ遡ってしまいますが、11月4日は、岡山で開催された立憲フェスに行ってきました。

 

立憲フェスおかやま 2018 in サンピーチOKAYAMA | 立憲民主党 岡山県連合

 

マチナカギカイの進行役を依頼してくださったことのある、市議会議員の森山幸治さんを通じてのお誘い。

政治は嫌いじゃないけれど政党政治(という名の勢力争い)に苦手意識をもっていたので、マチナカギカイを開いてきた森山さんのお誘いでなかったら断ってたかもしれない‥‥‥。

「最終的に議会に何をもっていくかは僕が決めるけど、自分にない視点も聞きたい!」という森山さんのお誘いだから安心して乗れたし、乗って本当によかった!

「支持するかどうか関係なく参加歓迎」という前触れどおり、政党を支持しなきゃという圧力を感じず自由に議論できて、かつ政治家に直接声が届くことに希望を感じる場でした。

 

セクシュアルマイノリティについて考えるテーブルの話題提供+ファシリテーターをお任せします」ということで、せっかく政治的なことを語れる、しかも政治家の耳に届く場だからと、前から気になっていた結婚制度について投げかけてみることに。

 

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ジェンダーフリー?©2018 松川絵里

 

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ジェンダーフリー?©2018 松川絵里

 

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ジェンダーフリー?©2018 松川絵里



私の個人的な関心から投げかけた問いでしたが、立憲民主党同性婚を可能にする法整備を検討中とのことで、ちょうどよかった。(というか、それを検討しているから「セクシュアルマイノリティ関連のテーブルを用意されたのでしょうが。)

ふだんの哲学カフェより参加者の年齢層が高めだったので、こうした議題に人が集まってくれるか不安でしたが、意外にも(?)大盛況。

 

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憲フェスおかやま 2018 in さんピーチOKAYAMA(https://cdp-okayama.com/2018/11/08/182/

 

 「LGBTであることをオープンにしにくいのはなぜ?」という疑問から始まった対話。みなさんから出た意見を、ざっくり3つの論点にまとめてみました。


1)知識や理解の問題

セクシュアルマイノリティに関する知識や理解の不足

結婚制度に関する知識や理解(歴史や成り立ちなど)の不足

教育のあり方

理解してくれる仲間を増やすこと


2)制度

いっそ戸籍を破壊すべき!?

戸籍を世帯ではなく個人単位にしては?

結婚という概念の捉え方のアップデートが必要

3)関係性

身内と他人で受け止め方は変わる?

都市のほうが柔軟なように見えて、「農業なら性別関係ないから」と地方に住む人も

岡山人は保守的って本当? 

 

制度や教育については書き出すと長くなるので、ちょっと置いといて‥‥‥

 

個人的にツボだったのが「岡山人は保守的って本当?」という疑問。

わたしも岡山に来る前、岡山出身の人にさんざんそう脅されたし、たしかにそう感じることもありますが‥‥‥この日のこのテーブルに集まってくださったみなさんや哲学カフェで会う人たちは、全然そんなことないなぁ

マジョリティではないかもしれない。

けど、むしろ、本当に保守的だったら「岡山人は保守的」なんて意識すら上がらないわけで。

「みんな保守的だなぁ」と聞くことが多いってことは、反対に、そうでもない人も多いのかも?

歴史や反対の意見を考慮しつつも、いまこの時代に合った制度のあり方を柔軟に探求しようとするみなさんの姿勢に、ほっとしました。

こういう人たちが暮らす地域ならわたしものびのびと暮らしていけそうだ、と。

 

貴重な機会をくださったみなさん、お付き合いくださったみなさん、ありがとうございました。

 

哲学カフェ=ラーメン説〜麺なしラーメンのような哲学カフェを考えてみる〜

カフェフィロ代表の山本さんが、最近、「哲学カフェ=ラーメン説」なるものを打ち出しているらしい。

曰く、「哲学カフェはラーメンと同じぐらい多様化しています」。

なるほど。

 

hare-tetsu.hatenablog.com

 

この説は、「ラーメンは多様である」ってことが前提になっているわけだけど、その例が「麺なしのラーメン」ってとこがいい。

この記事を読むまで、「麺なしのラーメンなんてラーメンちゃうわ!」と息巻いていたわたしも、「(ドイツでは)そもそもラーメンは『麺料理』ではなく『スープ料理』だという認識」なんて言われたとたん、及び腰になっちゃう。

なるほど、そもそも麺ありのラーメンが「パスタ入りのスープ」って感じなのかな?

じゃあ、「パスタ入りのスープ」と「スープパスタ」のちがいはどうなるの??

‥‥‥なんてギモンが次々湧いてくるわけだが、哲学カフェはどうだろう?

 

いろんな哲学カフェがあってもいいけれど、やっぱり哲学カフェには哲学とカフェ(=飲みもん)は必須要素、とおもってはいる。

 

しかし、そうは言いながら、会場の事情でどうしても飲み物を用意するのが難しかったり、あまりに味わい深い展開に「もう今日は哲学にならなくてもいいや〜」となることも、稀にある。

それはもはや「哲学カフェ」とは呼べないかもしれない。

 

けど、それでもいい。

その方がいいことも、ときにはある。

 

いつでもなんでも哲学カフェじゃなきゃと無条件に拘泥するのは、あまり哲学的な態度とは思えない。

「飲み物がなくても、哲学じゃなくてもいい」という判断に至るプロセスが哲学的であれば、〈てつがくやさん〉としての役割は果たせてるのかなとおもう。

 

けど、その判断に至るプロセスや理由に一片の哲学もなかったら、さすがに〈てつがくやさん〉は名乗れないだろうなぁ。